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顧 問  柿 元   清

滋賀県立八幡商業高等学校野球部OB会創立50周年、おめでとうございます。
今から50年前の昭和40年に沢村啓二監督、三露晋部長、そして顧問の私とで、現役野球部の財政難の問題について連日頭を痛めておりました。昭和37年の選抜大会に出場してから3年が経過していて、甲子園出場時の寄付金も既に底をつき試合用のユニホームは勿論、練習用のバット、ボール、グラブなど用具不足をきたしていて十分な練習ができませんでした。
そこで、野球部OB会の皆さんに少しでも援助して頂ければ有難いなあ…と相談し、「OB会を結成しようや!」と話がまとまり、監督は現役の練習に集中する、部長は名簿作り、私はOBの皆さんに協力を求める渉外係と役割分担し、速攻作業を開始しました。木下清二氏(第45回卒)、竹山多四郎氏(第46回卒)、中村定則氏(第47回卒)、寺本嘉男氏(第55回卒)、森本泰弘氏(第66回卒)らが、先ず八幡在住の先輩方に話しかけ「応援するよ!」との言葉を頂き、組織作りに入りました。初代の会長には、部長の実家の隣家出身の木下清二氏にお願いしました。こうしてOB会はスタートしたのです。一番苦労されたのは、名簿作り担当の三露部長でした。
当時私が36歳、監督が30歳、部長が28歳と若かったため、ガムシャラに組織作りに邁進できたのだと思います。
その後、二代目若原正蔵会長(第49回卒)、三代目森本泰弘会長(第66回卒)、四代目柴田雄会長(第78回卒)と、歴代の会長の元、活発なOB会活動を展開され幾多のOBの皆さんが足繁くグラウンドに足を運ばれ現役選手を指導頂き、又経済的な援助を頂いた事に現場として大いなる喜びを感じました。
25年前より始まった膳所高等高校とのOB定期戦も忘れる事ができないOB会の栄えある1ページです。そして、遂に創立後23年目に林監督を迎えてから平成の初めより今日まで、甲子園出場の実績を積み重ね、県下での名声は勿論、全国にも「八幡商業」の名を馳せるに至りました。熱烈な母校愛に育まれたOB会は、県下一の組織となり、現役選手を強力に支え続けて来られた事に創立に拘わった者として衷心より感謝申し上げ、OB会の益々のご発展を祈念し、皆さんに熱きエールをお送りしてお祝いを申し上げます。