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西川 純司 (第121回卒)
~林勝監督最後の教え子から誕生した左~

西川 純司

八幡商業高等学校時代は、第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で坂元弥太郎を擁する浦和学院高校と対戦し、好投するも味方打線が1安打に抑えられ三振記録を献上し敗退した。
 三重中京大学時代は、MAX141km/hのキレのある直球と多彩な変化球を操る投球を武器に好投を見せた。
2005年春の東海地区大学リーグ・朝日大学戦でノーヒットノーランを達成し、プロのスカウトから大きな注目を集め、プロ6球団が獲得を狙っていると言われた。
 しかし、2005年に左肩を痛めてしまい、復帰後は球速が133km/h程度に落ち込み、球威にも欠けた。
10月に東海地区大学優勝決定戦で優勝するなど復調をアピール。最終的に西武ライオンズが単独で4巡目指名した。
 ルーキーイヤーの2006年、二軍でチーム3位となる28試合に登板し、防御率2.25、投球回数20、奪三振17個、被打率.227と安定した投球を見せた。
2007年も二軍でチーム3位の26試合に登板し、防御率3.82の成績を残した。球威のあるピッチングで被打率は.205と前年より上回った。2008年は、ケガもあってわずか3試合の登板に留まり、防御率も23.63(二軍成績)と大幅に悪化してしまう。10月1日に戦力外通告を受け、12月2日に自由契約を公示され引退した。

 

 

投手/西川 純司(にしかわ じゅんじ)
生まれ:1983年5月12日
球 歴:八幡商→三重中京大学→西武ライオンズ

頁担当:小久保 博樹(121回卒)
西川とは、八幡商業時代の同級生にあたり、現在でも交流を続けさせてもらっております。高校在学中の印象としては、「とにかく暇があれば一人黙々と走り続けていた」ことが強く残ります。学年が一つ上にあたる投手陣の先輩方がとにかく走られていた。西川の事を厳しくも温かい眼差しで可愛がっておられました。
その努力する姿に感化され、これまで以上に努力を惜しまない姿がありました。それが、華奢な体でも粘り強く夏の大会を投げ続け、甲子園へ導いた原動力となったと振り返る事ができます。