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1924年
(大正13年)
第42回卒
第10回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
 この大会は比叡山が出場せず、八幡商、滋賀師範、膳所中、彦根中、そして滋賀県から新たに2校が増え水口中、八日市中の参加で大会が始まった。本校は残念ながら一回戦敗退となる。彦根中だけがベスト8に進出するが他校は京都勢に屈してしまう結果となる。

記念すべき第10回大会は、甲子園球場が産声を上げた大会であった。
今までは全国大会を鳴尾球場で開催をしていたが、中等野球の人気が非常に高く鳴尾球場では、観客を収容することが困難になっているために、この年の春から甲子園球場の着工にとりかかり夏の大会に間に合わせるために昼夜問わず、5か月という突貫工事で作業が進められ7月31日に完成することとなる。鳴尾球場での超満員から混雑回避を図っての甲子園球場建築ではあったが、大会3日目にして甲子園球場は満員となる人気であった。
また、この年から毎日新聞社主催で第1回選抜中等学校野球大会が開催された年でもある。第1回大会は、1923年(大正13年)4月1日、名古屋市郊外八事の山本球場に過去1年間の試合で最強チームと認められた8校の参加での大会となる。

【京津大会】
一回戦 対 立命館中 0-11
選手
  • 佐野 卓二