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1955年
(昭和30年)
第75回卒
第37回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
1学年上の先輩方の夏の大会では優勝候補と騒がれながら準決勝で敗退、トーナメントの怖さを痛感しての新チーム発足となる。新チームでは、1年生から活躍してきた増田投手、1番打者としてセンターを守り堅実な打者として同じく1年生から活躍してきた中村浩、二人にとっては八幡中学から6年間チームを同じくして戦ってきた。また八幡中学からは青木一塁手、小西二塁手も加わり1年下には塩見、上田など地元の選手で固めた強みも見せ秋季大会に臨んだ。地区で勝ち抜いた八商、大津東、愛知、彦根西4チームの争いとなる。われらは決勝まで進むが大津東に一方的な点差で敗れる。冬は雪辱を期して、長距離を走り体力強化に努めた。また東郷捕手が同志社高へ転校するという予想外な出来事もあったが、練習量も増やし、暑さに負けない精神的にも負けない練習を行った。
最後の夏を振り返って
この年より普通科が独立して八幡高校となり、八幡高校から念願の八幡商業高等学校と学校名が変わり出発の年となった。冬の練習も万全に終え、春季大会に臨む。初戦は楽勝。しかし準決勝は長浜西に、エース中村寿投手の絶不調により大敗してしまう。この敗退で試合終了後、彦根球場において私服に着替え約2時間にわたり井狩監督、和田部長から今日の試合における反省の弁が述べられた。内容は①投手は当然好不調がある。不調の時にはどんな投球をするのかを考える。②守備の時間が長いと野手の人も緊張感が切れる。四球は戦意を喪失させる。③こんなことでは夏は期待できない。
④練習にもっともっと工夫をすること。以上、長時間にわたり反省会が行われた。春の大会を大敗したことで、夏の大会はあまり関心がなく気楽に戦える状況であった。エース中村寿も速球に威力を増し、変化球もなんとか相手を交わせる力をつけてきた。打撃陣は中村浩・大橋・塩見・増田・青木と自慢の強力打線が出来上がり目標を甲子園優勝と書き換え出陣した。順当に勝ち上がり、決勝は春に負けている長浜西であったが、完封勝利でリベンジし、最後の夏を優勝で飾ることができた。京津大会は1万人を超える大観衆の前で行われた。序盤から立命館の攻撃がさえ、八商は追う展開となったが最後まで調子が上がらずに敗れ、甲子園優勝の目標どころか甲子園にも出場出来ずに高校野球にピリオドを打つ。
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会】
一回戦 対 彦根西 10-1
決勝 対 大津東 0-5
【春季大会】
二回戦 対 彦根西 13-5
準決勝 対 長浜西 4-11
【選手権予選】
一回戦 対 瀬田工 6-1
二回戦 対 大津東 6-4
準決勝 対 日野 6-2
決勝 対 長浜西 5-0
【京津大会】
一回戦 対 立命館 3-7
部長
  • 和田 忠三郎
監督
  • 井狩 忠之
投手
  • 中村 寿男
内野手
  • 青木 健一郎
  • 小西 輝男
  • 増田 元治
  • 大橋 英夫
外野手
  • 中村  浩
  • 竹中 慶興
マネージャー
  • 木村謹之助