1951年 (昭和26年) 第71回卒 |
第23回 選抜高等学校野球大会
(大会期間 昭和26年4月1日~4月9日) |
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大会登録選手 | |
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責任教諭 | 和田忠三郎 |
監 督 | 杉本 清 |
1 | 大辻 秀夫 |
2 | 高 元三 |
3 | 倉本 智夫 |
4 | 田原 健 |
5 | 寺本 和弘 |
6 | 川村 多門 |
7 | 中川 信男 |
8 | 山脇 寛 |
9 | 西邨 栄二 |
10 | 古川 滉三 |
11 | 石田 久雄 |
12 | 津田 邦夫 |
13 | 西田 重樹 |
14 | 西 貞男 |
第23回選抜高等学校野球大会は出場16校で争われた。小雨の降る中、開会を知らせる花火も湿りがちの中、入場行進が9時から行われて、詰めかけた観客数5万人の前で堂々と行進する。16校中、4番目での入場である。
八幡商対鳴門高は第一日目第二試合で対戦した。13時10分鳴門高先攻で開始。
小雨の中で鳴門の栗橋は下手投げで巧みにコースをかえ、八幡商の大辻は外角への制球が良く、ともに劣らぬ投手戦を演じ試合運びに鳴門は一日の長を見せた。
八幡商大辻投手は小粒ながら剛球の持ち主で、この試合11個の三振を奪う。
しかしむきになりすぎて、打たせてとろうというものがない。これに対して鳴門の栗橋投手はいいコントロールで下手投げ、横手投げを駆使しつつ八幡商を凡打させ、のらりくらりと逃げ切って勝利投手となった。勝敗の分かれ目は、三回だった。
鳴門の上位打者田淵と日野が無死、安打で続き脚力などで得点を入れる。その裏唯一のチャンスを迎える。八幡商は山脇の二塁打で出塁、一死後、西邨の投ゴロ悪送球で二、三塁の好機を迎えたが西田、中川の後続が凡飛で倒れる。甲子園で戦った時間は非常に短かったが、そこへの道のり、語りつくせないほど長い道のりであった。
また、やはり初出場の八幡商は甲子園慣れしていなく、経験が少ない。この試合接戦で最後敗退したが、この大会で紫紺の大優勝旗を手にしたのは何と鳴門高が優勝した。出場チームの実力は紙一重と評された。
優勝チームに善戦したことは、少し自信になっていた。