1915年 (大正4年) 第33回卒 |
第1回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場 |
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大正4年(1915年)7月1日付の朝日新聞一面に歴史的な社告が出た。「全国中等学校中よりその代表野球団、すなわち各地方を代表せりと野球大会における最優秀校を大阪へ招聘しめんとす」 ここに第1回全国中等学校優勝野球大会開催が宣言される 全国10地区に分かれて予選が行われる。各地方大会は、東京・東北・東海・京津・関西・兵庫・山陰・山陽・四国・九州の10地区からなる。滋賀県勢と京都勢が争う京津大会は滋賀県から八幡商、滋賀師範、坂本中(現比叡山高)が参加した。京都勢からは8校の参加。全国での参加数は73校であった。この第1回京津大会を制したのは、京都二中であった。 入学当時は野球のルールを知っているものはほとんどいなく、マスコミも発達していないだけに情報があまりなかった時代である。当時、新聞に載ったベースボール早分かり説明書には、「一口に言えば野球は18人の人々が9人ずつ敵と味方にわかれ、球(ボール)、打棒(バット)などという道具を使って互いに攻め合う遊戯である」と記されている。 |
【京津大会】 | |||
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一回戦 | 対 京都師範 | 11-23 | ● |
選手 |
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