1948年 (昭和23年) 第68回卒 |
第30回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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この年から全国中等学校野球選手権大会から新制全国高等学校野球選手権大会となり、高等学校野球連盟が発足した記念すべき年であります。 また、学制改革を記念して、現在に受け継がれている大会歌『栄冠は君に輝く』が制定された年でもある。 井狩野球の本格的なスタートの年であり、1年生4名・2年生4名・3年生4名合わせて選手12名とマネージャー1名、計13名と非常に少ない部員での年代である。 3年生の3人の強打者に引っ張られ、1年生・2年生が育成、成長していきました。 |
最後の夏を振り返って |
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我がチームは夏の大会が始まる前の県下予想では到底決勝戦まで残るチームとしては評価されていませんでした。しかし、春季大会後、北陸遠征(敦賀・武生・金沢)でチームワークと実力向上を目指し、強化試合を行い、夏の大会前には、優勝を目標にバンドやスクイズ100%成功の猛練習をしたものでした。 最後夏の選手権大会には県内17校が参加した。部員が少なく、1年生バッテリーで一回戦から順当によく勝ち上がり決勝戦まで駒を進めていきました。決勝戦の相手は2年連続決勝戦で戦う彦根東高。 また、3年連続で対戦する相手。3年連続で負けることの屈辱は味わいたくない思いで決勝戦に臨んだ。 この日、井狩監督が初戦からしておられた眼帯の脱着が優勝戦当日のバンド、スクイズのサインだと聞かされた時は「敵を欺くのは先ずは味方から」と非常に感銘を受けたことを思い出します。 歴史ある伝統をバックに藤本投手の試合度胸、頭脳的投球とチームワークで練習通りの積極的なプレーで戦いましたが、残念ながら接戦の末、惜敗してしまう。 2年連続準優勝に終わりあと一歩のところでまたもや優勝を逃してしまった。負けはしましたが、悔いのない練習の成果が発揮され、悔いのない野球が出来ました。 それに八商ファンの嵐のような声援を受けたことその感動は、今でも心の中に刻まれている。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会】 | |||
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なし |
【春季大会】 | |||
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一回戦 | 対 比叡山 | 16-7 | ○ |
二回戦 | 対 彦根南 | (不戦敗) | ● |
【選手権予選】 | |||
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二回戦 | 対 膳所 | 8-0 | ○ |
三回戦 | 対 高島 | 3-1 | ○ |
準決勝 | 対 大津 | 3-0 | ○ |
決 勝 | 対 彦根東 | 1-2 | ● |
部長 |
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監督 |
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内野手 |
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外野手 |
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