1950年 (昭和25年) 第70回卒 |
第32回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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我々の年代は1年生からバッテリーを組んできた経験のある藤本・林を中心に、前年優勝メンバーが7人残る期待のもてるチームでした。秋季大会は結果が出ずに、冬の猛練習を積み重ねた。その成果が表れこの年選抜出場した彦根に春、夏と勝利し、春夏2大会連続優勝、春は近畿大会で準優勝を勝ち取ることが出来た。 そして最後夏の選手権では、1回戦から決勝まで危なげなく勝ち進み2連覇を成し遂げることができた。 |
最後の夏を振り返って |
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最後夏の選手権大会を2年連続で優勝し、京都代表山城高と甲子園出場を掛けて戦った。戦前の予想では八幡有利の報道が多かったが、吉田義男選手(元阪神タイガース)に好守にわたり活躍され、多くの応援団の期待を裏切る敗戦となってしまった。しかし高校野球3年間は、教育者としても立派な井狩忠之先生の指導の下、3年間共に練習に汗し、多くの友や我々を応援してくださった町の八商ファンの暖かい声援、物心両面で金銭的にも支援を頂き、今もって感謝の念に堪えません。前年、18年ぶりの優勝の時、井狩監督から掛けられた一言が忘れられません。『お前たちは学校に帰り球拾いやグラウンド整備をしてくれた下級生一人ひとりに頭を下げて有難うの感謝の念を表しなさい!』この言葉は教育者としての信念であると今も心に刻まれています。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会(リーグ戦)】 | |||
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一回戦 | 対 彦根 | 4-0 | ○ |
二回戦 | 対 大津 | 8-11 | ● |
(1勝1敗で決勝進出ならず) |
【春季大会】 | |||
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一回戦 | 対 八日市 | 9-0 | ○ |
二回戦 | 対 湖南 | 13-2 | ○ |
準決勝 | 対 比叡山 | 17-5 | ○ |
決勝 | 対 彦根 | 7-6 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 高槻 | 6-1 | ○ |
準決勝 | 対 西京 | 4-1 | ○ |
決勝 | 対 滝川 | 0-3 | ● |
【選手権予選】 | |||
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一回戦 | 対 瀬田 | 14-0 | ○ |
二回戦 | 対 八日市 | 4-0 | ○ |
準決勝 | 対 彦根 | 6-0 | ○ |
決勝 | 対 甲賀 | 8-3 | ○ |
(2年連続優勝) | |||
【京津大会】 | |||
一回戦 | 対 山城 | 0-6 | ● |
部長 |
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監督 |
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投手 |
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捕手 |
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内野手 |
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外野手 |
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マネージャー |
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