1951年 (昭和26年) 第71回卒 |
第33回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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新チームスタートと同時に杉本監督を新たに迎え、剛球大辻投手を中心としたチームであった。秋の県大会を優勝し、近畿大会決勝戦では延長16回1-1の日没引き分け再試合の死闘を演じた。結果、負けはしたが、この実績が評価され、見事選抜出場を勝ち取り八商野球部が初めて甲子園の土を踏んだチームである。 選抜出場の朗報を耳にしたときは、部員全員がお互い強く抱き合い、新たな闘志と団結を確かめ合ったことは今でも懐かしい。 大辻投手は高校卒業後、国鉄スワローズに入団し3年間で8試合の登板成績を収めている。 |
最後の夏を振り返って |
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八商野球部初めての甲子園出場を果たしたことは光栄であるが、しかし、選抜出場後、春の県大会を制したものの、優勝後に杉本監督が辞任してしまい、しばらく監督不在が続いた。我々は秋・春と優勝し、選抜にも出場しており、当然優勝候補筆頭ではあったが、そのような状態で夏の大会に臨み、チームが一丸となれずに二回戦で瀬田高に足元をすくわれる結果となってしまった。最後にまとまりに欠ける姿を露呈してしまったが、喜びと栄光を胸に秘めて、自分に厳しく慢心を慎み、全員一丸となって猛練習に励んだ野球部での体験は、将来の人生の貴重な血肉になったことは事実である。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会】 | |||
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一回戦 | 対 瀬田 | 5-1 | ○ |
二回戦 | 対 長浜 | 1-0 | ○ |
準決勝 | 対 大津 | 4-3 | ○ |
決勝 | 対 彦根 | 10-1 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 長田 | 2-1 | ○ |
準決勝 | 対 扇町 | 7-1 | ○ |
決勝 | 対 平安 | 1-1 | △ |
再試合 | 対 平安 | 1-3 | ● |
【春季大会】 | |||
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一回戦 | 対 甲賀 | 10-5 | ○ |
二回戦 | 対 大津 | 5-1 | ○ |
準決勝 | 対 長浜 | 6-5 | ○ |
決勝 | 対 彦根 | 4-1 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 京都商 | 0-2 | ● |
【選手権予選】 | |||
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一回戦 | 対 高島 | 8-7 | ○ |
二回戦 | 対 瀬田 | 1-4 | ● |
部長 |
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監督 |
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投手 |
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捕手 |
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内野手 |
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外野手 |
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