1952年 (昭和27年) 第72回卒 |
第34回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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個々のメンバーは、突出した優れた選手は2~3人存在するかしないかで、メンバー全員が非常にまとまり良く、皆と一緒にまとまって良く練習に励んだチームでした。しかしながら打力は非力であったチームであった。 |
最後の夏を振り返って |
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最後夏の選手権大会を2年連続で優勝し、京都代表山城高と甲子園出場を掛けて戦った。戦前の予想では八幡有利の報道が多かったが、吉田義男選手(元阪神タイガース)に好守にわたり活躍され、多くの応援団の期待を裏切る敗戦となってしまった。しかし高校野球3年間は、教育者としても立派な井狩忠之先生の指導の下、3年間共に練習に汗し、多くの友や我々を応援してくださった町の八商ファンの暖かい声援、物心両面で金銭的にも支援を頂き、今もって感謝の念に堪えません。前年、18年ぶりの優勝の時、井狩監督から掛けられた一言が忘れられません。『お前たちは学校に帰り球拾いやグラウンド整備をしてくれた下級生一人ひとりに頭を下げて有難うの感謝の念を表しなさい!』この言葉は教育者としての信念であると今も心に刻まれています。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会(リーグ戦)】 | |||
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一回戦 | 対 比叡山 | 8-1 | ○ |
準決勝 | 対 愛知 | 0-1 | ● |
【春季大会】 | |||
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一回戦 | 対 八日市 | 17-6 | ○ |
準決勝 | 対 瀬田 | 3-4 | ● |
【選手権予選】 | |||
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二回戦 | 対 長浜中 | 3-2 | ○ |
準決勝 | 対 大津東 | 0-5 | ● |
部長 |
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監督 |
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投手 |
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捕手 |
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内野手 |
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外野手 |
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マネージャー |
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