1953年 (昭和28年) 第73回卒 |
第35回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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秋は寄宿舎の取壊し後の整理やグラウンドの土の入替、部員の減少で練習不足が重なり、秋季大会はブロック予選で敗退と屈辱を味わい、最悪な結果に終わる。夏に向けて冬の練習は体力作りと基本重視し、猛練習に励み、まとまりのあるチームが出来上がった。主将平井清一、三塁井狩克之、左翼塚本光男、細田敏彦は捕手から外野に転向、三年生4名、二年生8名、一年生6名での布陣であった。エース増田は度胸のよい重い速球が武器で変化球もあまり打たれない。リリーフ竹中も力強い投球が持ち味。いずれも経験の浅い1年生である。 |
最後の夏を振り返って |
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昭和28年4月1日改修成ったグラウンドにおいて京都の東山高を同校に迎え、28年度の戦いが始まった。春季大会は愛知高に快勝するが、八日市高中村投手の速球が打てずに完敗する。 夏の大会は、同校は全く優勝候補には上がっていなかったが、5月に若原正蔵先輩を彦根球場にお迎えし猛練習を行い、勝つための心構え、強くなるための練習強化等、夏に備えた練習試合も京都勢、大谷・東山・洛陽・堀川とは善戦山城・同社社とは引き分ける結果を残した。そして夏の大会本番を迎える。一回戦はコールド発信。大津東との準決勝は木下捕手の好リードで増田投手が見事な投球で完封。打線も中村・田村・塚本の上位打線が好調で決勝戦進出となる。相手は圧倒的な強さで勝ち上がってきた八日市高。春に負けているチームである。八日市高は中村投手のワンマンチームではあるが、主将としてチームを良くまとめ上げている。なんとか勝つには中村投手を攻略しなければ勝てない。しかしながら井狩監督の好采配も空しく惜敗してしまう。 八日市高が優勝し、京津大会に出場。京都代表は平安ではないが、力強く、粘り強く勝ち抜いてきた西舞鶴高と対戦。見事勝利し甲子園出場を勝ち取る。どうしても京都に勝てなかった滋賀県。夏の選手権大会が始まって以来35年目にしてやっと京都代表に勝ち晴れの京津代表として滋賀県のチームが初出場した年である。長い長い道のりであった。もしわれらが八日市高に勝っていればと思うと残念でならない。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会】 | |||
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(ブロック予選で敗退) |
【春季大会】 | |||
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一回戦 | 対 愛知 | 6-4 | ○ |
二回戦 | 対 八日市 | 0-3 | ● |
【選手権予選】 | |||
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二回戦 | 対 長浜西 | 17-5 | ○ |
準決勝 | 対 大津東 | 5-3 | ○ |
決勝 | 対 八日市 | 1-4 | ● |
部長 |
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監督 |
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捕手 |
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内野手 |
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外野手 |
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マネージャー |
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