1954年 (昭和29年) 第74回卒 |
第36回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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チーム紹介 |
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新チームには6名のレギュラーが残り、増田―木下の協力バッテリーも2年目を迎えて益々健在で打撃陣も上位打線が残り、いよいよ夏の甲子園初出場の期待がかかった年代であった。秋季大会はリーグ戦方式で行い、全勝で優勝を飾る。近畿大会では、夏の大会において初めて京都勢を破り、甲子園に出場した八日市高に続けと激しい闘志を燃やし立ち向かった。初戦京都代表山城高、勝てば選抜大会に選ばれる絶好のチャンス。全員が緊張し、固くなっての戦いであったが、1点リードの5回同点に追いつかれて、その後逆転コールドで敗退する悔しい結果となった。 それでも春の選抜大会補欠校として選ばれた。敗退した悔しさを冬の厳しい練習量にかえて、メンバー一丸となりトレーニングに汗を流した。冬を越した我々は、春の選抜優勝校愛知県中京商業や、福井の若狭高、敦賀商業、京都東山高、同志社高、大阪泉陽高など強豪とも練習試合を組み、力負けしないチームへと力をつけた。 |
最後の夏を振り返って |
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冬の厳しいトレーニングの成果は春の大会にあらわれた。春季大会は、甲賀、長浜西を連覇し、宿敵大津東に5-0と久々に圧勝。優勝を勝ち取った。近畿大会、一回戦は高校ナンバーワンの前岡投手率いる和歌山県代表の新宮高と対戦。前岡投手の緩急つけた投球にヒット3本におさえられ完封負け。完敗した。 夏の大会は、各新聞社が八商強し優勝候補の予想を掲げ、絶対的な大本命で本番に臨む。我々は普段どおりの野球を心掛け堂々と戦う。一回戦は愛知高の好投手を前半で攻略。ヒット15本の猛攻で快勝。準決勝は宿敵大津東との対戦。1-0とリードしていたが、後半増田投手は疲れが激しく逆転される。大津東の山本投手の変化球が打てず、主力打者がヒット3本とここ1本が出ずに試合巧者の大津東に残念ながら惜敗する。増田―木下のバッテリーを中心に塩見・田村・中村・増田・木下・大橋と続く打線は超高校級と言われ打ち勝つ試合が多かったが、反面好投手にはもろいところもあった。特にこの年は早稲田大学から手塚コーチを招き、基礎的な部分の練習を多くした。 しかし、勝利の女神は微笑まず、悔しい、悔しい惜しい年代であった。 |
年間滋賀県大会 戦績
【秋季大会(リーグ戦)】 | |||
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二回戦 | 対 大津東 | 4-2 | ○ |
準決勝 | 対 愛知 | 4-3 | ○ |
決勝 | 対 長浜西 | 5-2 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 山城 | 2-9 | ● |
【春季大会】 | |||
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二回戦 | 対 甲賀 | 9-2 | ○ |
準決勝 | 対 長浜西 | 1-0 | ○ |
決勝 | 対 大津東 | 5-0 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 新宮 | 0-3 | ● |
【選手権予選】 | |||
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二回戦 | 対 愛知 | 11-3 | ○ |
準決勝 | 対 大津東 | 1-2 | ● |
部長 |
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監督 |
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投手 |
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捕手 |
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内野手 |
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外野手 |
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