
| 1973年 (昭和48年) 第93回卒 |
第55回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
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| チーム紹介 |
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| 我々の学年は、選手8人、マネージャー2名の計10名での学年でした。全体的に小粒な選手が多く、守りはセンターラインを3年生で固め、まとまりのあるチームでした。ただ、右ラインに難があったのが気がかりな点でした。投手は当時ではめずらしい、変則モーションのサウスポーで打ちづらいピッチャーでしたが、完投出来る能力がなく、スタミナに難がありました。打線は、松浦・西川・清水のクリーンアップが強打で山本・望月の1,2番コンビは出塁率が高かったです。全体的には、しぶとく粘り強いチームでした。 |
| 最後の夏を振り返って |
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この年は55回記念大会であり、優勝すれば甲子園に行ける大会でした。
夏の大会は秋・準優勝、春・優勝の大本命比叡山高が不祥事で出場出来ず、どこが優勝してもおかしくない戦国の大会となった。我々にもチャンスが大いにあった年でした。3回戦の守山戦では、1回裏に2番打者が負傷退場となり、大きなハンディをかかえての戦いとなりました。その後、相手エースを引きずり降ろし、リードする展開でしたが、終盤に自軍のエースに疲れが見えはじめ、追いつかれてしまい、延長までもつれ込んだ戦いとなりましたが、延長戦の末、残念ながら敗れてしまいました。 しかし、三年間伝統ある八幡商で良き仲間と共に野球が出来たことは、人生の大きな財産となったと思っています。
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年間滋賀県大会 戦績
| 【秋季大会】 | |||
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| 本大会出場なし |
| 【春季大会】 | |||
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| 二回戦 | 対 長浜北 | 3-6 | ● |
| 【選手権予選】 | |||
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| 二回戦 | 対 瀬田工 | 10-3 | ○ |
| 三回戦 | 対 守山 | 7-11 | ● |
| 部長 |
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| 監督 |
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| 投手 |
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| 捕手 |
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| 内野手 |
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| 外野手 |
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| マネージャー |
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