2014年[第134回卒]
on 2019年4月18日
with
コメントはまだありません
2014年 (平成26年) 第134回卒 第96回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 チーム紹介 僕達の学年は個性豊かなチームでした。その中、ぶつかることもたくさんありました。投手を中心に守備からリズムをつくるチー … Read More
2014年 (平成26年) 第134回卒 第96回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 チーム紹介 僕達の学年は個性豊かなチームでした。その中、ぶつかることもたくさんありました。投手を中心に守備からリズムをつくるチー … Read More
2013年 (平成25年) 第133回卒 第95回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 チーム紹介 僕達は普段の練習から選手同士お互い言葉を掛け合い高め合っていました。 池川先生からも、いい声が出ていると言われていま … Read More
2012年 (平成24年) 第132回卒 第94回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 チーム紹介 僕達は、16人と少ない人数でしたが、少ないからこそお互いが意識を高め合い3年間練習に励みました。時にはぶつかることも … Read More
2011年 (平成23年) 第131回卒 第93回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 チーム紹介 我々は選手26名、マネージャー1人と非常に人数の多い学年であった。1人ひとりの個性も強く、池川監督はじめ指導に当たっ … Read More
1994年 (平成6年) 第114回卒 |
第76回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
『投手を中心とした守備』からリズムをつくり、秋季滋賀県大会では〝優勝〟を果たし、日生球場で行われた近畿大会に出場する。奈良県高田商業を相手に前半に3点をリードしてむかえた6回、惜しくも逆転を許し惜敗。春の選抜2年連続出場を逃がした。 |
最後の夏を振り返って |
---|
近江、石山、比叡山、栗東、長浜がチーム力の高かったこの年の夏。持ち味である守備からの攻撃を武器に夏の選手権予選に挑むが、リズムに乗りきれず準々決勝で比叡山高校に敗退し最後の夏が終わった。高校三年間の野球生活は、今となれば一瞬の出来事であったかの様ですが、こうして思い返し噛みしめてみると、改めて八幡商業野球部に大きな感謝の気持ちが溢れます。今後の活躍を心より願っています。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
準々決勝 | 対 近江 | 8-1 | ○ |
準決勝 | 対 守山 | 4-1 | ○ |
決勝 | 対 石山 | 3-2 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 高田商 | 3-4 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 草津東 | 7-0 | ○ |
二回戦 | 対 長浜北 | 9-0 | ○ |
三回戦 | 対 八幡工 | 3-4 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 高島 | 1-0 | ○ |
三回戦 | 対 光泉 | 8-0 | ○ |
準々決勝 | 対 比叡山 | 0-7 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1993年 (平成5年) 第113回卒 |
第75回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
私たちのチームは、男子25名、マネージャー4名は、八幡商4連覇中という常勝時代に入学し、先輩方の体格・技術の高さを目のあたりにし、自分たちにもやっていけるのかどうか不安でした。それでも毎日朝早くから夜遅くまで練習し、一日500スイング以上をノルマとし、毎日厳しい練習を行っていました。その結果新チームとなった秋季大会では優勝、近畿大会ではベスト4という成績を収めることができ、選抜大会に出場することができました。選抜大会では、先輩方が死闘を演じられた作新学院戦以来の県勢31年ぶりに初戦を突破し、2勝を挙げベスト8という結果が残せました。 |
最後の夏を振り返って |
---|
選抜大会後、春季大会でも優勝と順調に来ましたが、近畿大会後、夏前にチーム全体の調子が下がった状態で夏の大会を迎えることになりました。しかし、大会に入ってからも調子は上がらず、残念ながら春夏連続出場を果たすという目標は実現することが出来ず、まさかの初戦敗退となり3年間の幕を閉じることになりました。毎日大変な練習をこなし、辛いことが多い3年間でしたが、一生忘れない大切な思い出となりました。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 虎姫 | 10-2 | ○ |
二回戦 | 対 大津 | 4-1 | ○ |
三回戦 | 対 安曇川 | 6-1 | ○ |
準々決勝 | 対 石山 | 2-1 | ○ |
準決勝 | 対 長浜 | 7-0 | ○ |
決勝 | 対 近江 | 5-2 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 明石 | 5-4 | ○ |
二回戦 | 対 市尼崎 | 9-0 | ○ |
準決勝 | 対 東山 | 1-8 | ● |
選抜出場 |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 彦根東 | 4-3 | ○ |
二回戦 | 対 石山 | 4-1 | ○ |
三回戦 | 対 守山 | 4-3 | ○ |
準々決勝 | 対 八幡 | 7-2 | ○ |
準決勝 | 対 近江 | 5-2 | ○ |
決勝 | 対 甲西 | 6-0 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 大商学園 | 0-4 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 近江兄弟社 | 2-3 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1992年 (平成4年) 第112回卒 |
第73回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
主将の小林を中心に、個々の実力は高くありませんでしたが、全体的に平均的なチームであり、林監督就任後の学年の中では一番チームワークが良く入学から3年間一人も退部者を出さずに最後まで一緒に野球を続けられた事が自慢の学年です。 |
最後の夏を振り返って |
---|
選手権予選では、諸先輩方の後に続き5年連続甲子園出場を目指し、3回戦、準々決勝と辛勝し、準決勝まで駒を進めましたが、善戦虚しく0-2で、近江高校に破れ、残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、翌年後輩たちの春の選抜甲子園出場につながるベスト4と健闘いたしました。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 彦根西 | 10-0 | ○ |
二回戦 | 対 瀬田工 | 0-6 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 米原 | 9-0 | ○ |
二回戦 | 対 長浜 | 8-5 | ○ |
三回戦 | 対 大津 | 2-1 | ○ |
準々決勝 | 対 堅田 | 12-1 | ○ |
準決勝 | 対 野洲 | 1-3 | ● |
三位決定戦 | 対 | 2-0 | ○ |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 愛知 | 8-0 | ○ |
二回戦 | 対 八幡 | 10-0 | ○ |
三回戦 | 対 大津 | 3-1 | ○ |
準々決勝 | 対 長浜 | 4-3 | ○ |
準決勝 | 対 近江 | 0-2 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1991年 (平成3年) 第111回卒 |
第73回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
この年代は中学3年時、夏の甲子園初出場した時に甲子園出場を夢見て八幡商の野球部の門を叩いた選手ばかりでした。入学当初は30名以上が入部。 最終的には24名とマネージャー3名で新チームを迎える。このチームは、個性が非常に強く、負けず嫌いの多いメンバーであった。 新チームとしては、レギュラーが4人残りスムーズに切り替えができた。しかし甘えがあったのか過信していたのか、秋季大会準々決勝で栗東高にまさかの敗退。この敗戦以降、チームが変わる。各自が厳しい練習をこなし、自主連も率先して行うようになり、チームとして少しずつまとまり感が出来てくるようになる。そしてその後、県内では練習試合・公式戦と負け無し。この年代の滞在能力が練習の成果として発揮されるようになる。それも負け、悔しさを知ったから、また先輩方の背中を見てきたから想う、感じることもたくさんあった。 |
最後の夏を振り返って |
---|
春季大会を優勝して最後の夏に臨む。4年連続夏の甲子園出場というプレッシャーを感じながら戦った夏、投手藤原・羽田、捕手田中を中心とする守備が光り、延長戦などを制して決勝に進んだ。1対0で逃げ切り甲子園出場を勝ち取った瞬間、プレッシャーから解き放たれチーム全員で思いっきり喜んだ。個性派揃いのメンバーで、このメンバーだから勝てた、このメンバーでなかったら勝てなかったと、最終最後に感じた我々であった。本当にありがとう!
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 石山 | 5-3 | ○ |
二回戦 | 対 草津東 | 6-4 | ○ |
三回戦 | 対 瀬田工 | 10-0 | ○ |
準々決勝 | 対 栗東 | 7-8 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 日野 | 10-0 | ○ |
三回戦 | 対 米原 | 8-2 | ○ |
準々決勝 | 対 高島 | 7-2 | ○ |
準決勝 | 対 石山 | 9-0 | ○ |
決勝 | 対 近江 | 6-1 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 神戸弘陵 | 2-5 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 水口 | 8-1 | ○ |
三回戦 | 対 近江兄弟社 | 1-0 | ○ |
準々決勝 | 対 彦根東 | 5-1 | ○ |
準決勝 | 対 近江 | 5-3 | ○ |
決勝 | 対 石山 | 1-0 | ○ |
4年連続4回目 甲子園出場 |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1990年 (平成2年) 第110回卒 |
第72回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
現在の室内練習場、BOX、内野の黒土は私たちの時代に築き上げられたものである。特に室内練習場で黒土を作り、グランドを整備したことは深く思い出に残っている。我々の年代13名は誰一人かけることがなく、3年間厳しい練習にも耐え、全員一丸となり野球に打ち込んできました。 夏の甲子園4年連続出場した中で1番最弱のチームでしたが、最後の夏の選手権大会では3年生全員がベンチ入りし、悔いのない高校野球を終えられた。 その結果、夏の大会では1番良い成績を残せたと感じている。 |
最後の夏を振り返って |
---|
春の大会は3回戦敗退、ノーシードで夏の大会に臨む。初戦大津高戦から苦しい戦い。投手は七里、池川と下級生の藤原、羽田のやりくりの継投。打線は2年生クリーンアップの活躍が頼りで勝ち上がり決勝戦へ。0-3と先行されたが、中盤に相手ミスにつけ込んで逆転。
最終回も追い上げられ、伝説である竹島の「大チョンボ」もあったが、1点差で辛くも逃げ切り、最弱といわれたチームが夏の甲子園出場を勝ち取った。 |
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 野洲 | 2-4 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 日野 | 1-0 | ○ |
二回戦 | 対 北大津 | 10-0 | ○ |
三回戦 | 対 比叡山 | 2-6 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 大津 | 10-4 | ○ |
三回戦 | 対 近江 | 5-3 | ○ |
準々決勝 | 対 玉川 | 3-2 | ○ |
準決勝 | 対 比叡山 | 6-2 | ○ |
決勝 | 対 彦根東 | 6-5 | ○ |
3年連続3回目 甲子園出場 |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
1989年 (平成元年) 第109回卒 |
第71回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
県内では、新チームを結成した秋から練習試合・公式戦負け無し。春の選抜、夏の選手権共に出場した。安定した試合運びと力強さ、切れ目のない打線が看板の打撃型のチーム。西田、田中、岡本が打線の中心だが、どこからでもつながる集中打が魅力。 我欲を抑え、指導者のモットー「野球を通じての人間形成」を理解し、まとまりが良く少し大人びた感があった学年。 |
最後の夏を振り返って |
---|
県大会では、春までの圧倒的な力強さは感じられないものの、試合巧者ぶりと粘り強い打撃で勝ち上がり、三季連続の甲子園出場。
選抜出場で途切れた一体感を取り戻し挑んだ選手権。初戦、持ち前のチーム力で突破したが、次戦、もっとできたという思いがあった大敗が悔まれる。 |
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 愛知 | 13-0 | ○ |
二回戦 | 対 東大津 | 10-3 | ○ |
三回戦 | 対 能登川 | 8-0 | ○ |
準々決勝 | 対 彦根工 | 10-2 | ○ |
準決勝 | 対 近江兄弟社 | 7-1 | ○ |
決勝 | 対 高島 | 3-1 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 尼崎北(兵庫) | 2-3 | ● |
選抜出場 |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 野洲 | 7-0 | ○ |
二回戦 | 対 湖南農業 | 9-3 | ○ |
三回戦 | 対 彦根西 | 3-0 | ○ |
準々決勝 | 対 甲西 | 10-2 | ○ |
準決勝 | 対 比叡山 | 5-4 | ○ |
決勝 | 対 彦根東 | 5-2 | ○ |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 香芝(奈良) | 11-3 | ○ |
準決勝 | 対 北嵯峨(京都) | 0-15 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 石山 | 10-3 | ○ |
三回戦 | 対 虎姫 | 8-0 | ○ |
準々決勝 | 対 河瀬 | 8-3 | ○ |
準決勝 | 対 八日市 | 1-0 | ○ |
決勝 | 対 近江 | 5-4 | ○ |
2年連続2回目 甲子園出場 |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1988年 (昭和63年) 第108回卒 |
第70回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
私達の学年は“一生の宝”となる貴重な体験をさせて頂きました。 秋の大会では近畿大会に出場し、当時春の選抜選考基準となる1勝をしましたが、残念ながら出場する夢を果たせず、補欠校になりました。 その悔しさを糧に日々練習に励み、最後の夏、母校創立103年目、悲願の「夏の甲子園初出場」を果たしました。甲子園では皆様の温かいご声援のお陰で、初戦を突破する事ができました。あの夢の大舞台で大声を出して歌った校歌は生涯忘れる事はありません。 |
最後の夏を振り返って |
---|
正直、初戦から厳しい対戦相手が続き、いつ負けてもおかしくない状況でした。初戦の伊香高校は前年度優勝校、その後も毎年上位に進出する強豪校ばかりと対戦。決勝の草津東高校には春季大会でコールド勝ちしている事もあって、勝算はありましたが、夏の大会の恐ろしさ、気が付けば延長11回まで試合がもつれました。最後は「逆転、サヨナラ」という夢みたいな勝ち方で“初切符”を手にする事ができました。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 守山北 | 14-0 | ○ |
三回戦 | 対 近江 | 9-3 | ○ |
準々決勝 | 対 八日市 | 9-2 | ○ |
準決勝 | 対 河瀬 | 7-0 | ○ |
決勝 | 対 野洲 | 3-4 | ● |
【近畿大会】 | |||
一回戦 | 対 市和歌山商 | 7-5 | ○ |
準々決勝 | 対 天理 | 4-8 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 草津東 | 10-0 | ○ |
三回戦 | 対 近江兄弟社 | 11-1 | ○ |
準々決勝 | 対 八幡工 | 5-1 | ○ |
準決勝 | 対 比叡山 | 5-5 | △ |
三位決定戦 | 対 東大津 | 14-4 | ○ |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 伊香 | 7-1 | ○ |
三回戦 | 対 膳所 | 8-3 | ○ |
準々決勝 | 対 高島 | 5-1 | ○ |
準決勝 | 対 大津商 | 7-3 | ○ |
決勝 | 対 草津東 (延長11回サヨナラ) |
6-5 | ○ |
甲子園夏初出場 |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1987年 (昭和62年) 第107回卒 |
第69回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
私たちの学年は、11名と少人数ではありましたが、その分チームワークも良くお互いが切磋琢磨し、3年間で技術力や精神力も大きく成長することが出来ました。 本当に朝から晩まで野球漬けの毎日でしたが、チームメイトは良き相談相手であり、3年間共に流した汗や涙は今でも決して忘れることの出来ない、貴重な思い出となっています。 |
最後の夏を振り返って |
---|
秋季大会は3回戦で選抜に出場した伊香高に3-4と接戦の末に敗れた。その悔しさをバネに春季大会では準優勝し、結果を残すことが出来た。この常勝ムードで夏こそは必ず優勝して甲子園へと全員が意気込んで乗り込んだ夏の大会でした。ところが残念ながら、まさかの初戦敗退という結果となり、あっという間に試合が終わった記憶があります。しかし、全員が持っている力を存分に出し切った結果なので悔いはない。甲子園の夢は叶えられなかったが、その夢を後輩に託し、その夢を次の年に後輩が叶えてくれたことは、本当にうれしかった。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 彦根西 | 6-3 | ○ |
二回戦 | 対 湖南農 | 11-1 | ○ |
三回戦 | 対 伊香 | 3-4 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 彦根西 | 10-0 | ○ |
三回戦 | 対 大津商 | 8-1 | ○ |
準々決勝 | 対 彦根東 | 12-2 | ○ |
準決勝 | 対 甲西 | 7-2 | ○ |
決勝 | 対 近江 | 3-8 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 河瀬 | 6-9 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
1986年 (昭和61年) 第106回卒 |
第68回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
有名校との練習試合でも、打線に勢いがつくと止まらない、打ち勝つ打のチームであった。学校創立100周年に、甲子園出場を期待されていましたが、残念ながら期待に応えることが出来なかったチームでした。 しかしチームにはまとまりがあり楽しいチームだった。 |
最後の夏を振り返って |
---|
最後の夏の選手権大会では秋・準優勝、春・優勝。近畿・準優勝して勢いに乗っている優勝候補筆頭の比叡山高との初戦。その優勝候補をサヨナラ勝ちで破り、続く二回戦、堅田との一戦では延長時間切れの引分け。翌日再試合となるも相手は1年生投手であったが、残念ながら敗退してしまう。OBの先輩方に支えられ、甲子園出場を期待されていたチームでした。優勝候補の比叡山に勝ち甲子園に行けると思っていたが、その期待に応えることが出来なかっただけに、本当に残念で悔いの残る最後の夏となりました。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 虎姫 | 8-3 | ○ |
三回戦 | 対 八幡 | 4-1 | ○ |
準々決勝 | 対 石山 | 6-4 | ○ |
準決勝 | 対 比叡山 | 2-5 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 近江 | 2-3 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 比叡山 | 5-4 | ○ |
二回戦 | 対 堅田 | 4-4 | △ |
再試合 | 対 堅田 | 0-2 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
マネージャー |
|
1985年 (昭和60年) 第105回卒 |
第67回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場 |
---|
チーム紹介 |
---|
3年間OB監督にお世話になった年代です。入学時から3年春まで深井博正氏、以降橋本善雄氏。八商創立100周年という節目を目前に甲子園出場が果たせるように、多くのOBの方々に物心両面で支えて頂いたのをはじめ、学校長(故 完甘彰 氏)にも精力的に応援頂いたことが記憶に残っています。入学時11名の入部から3名が欠け、後輩に助けられてのチーム編成となっていましたが、最後には、センス派・努力派・真面目派・サボリ派が程良く融合されたバランスの取れたチームに仕上がっていました。 |
最後の夏を振り返って |
---|
新チーム結成時は、試合経験豊富なメンバーが残ったことから甲子園を狙える位置にいるとも言われていましたが、秋季、春季とも当時の有力校の壁に阻まれました。最後の夏となる選手権予選は、戦前から秋季に敗れている守山戦が山場でしたが、そこを突破したことで決勝戦まで進出できました。惜しくも甲子園出場は叶いませんでしたが、3年後甲子園出場を果たしてくれた当時の中学3年生(第108回卒)を八商入学へ導く一助になったのではと自負しています。
|
【秋季大会】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 湖南農 | 17-5 | ○ |
三回戦 | 対 守山 | 6-9 | ● |
【春季大会】 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 対 伊香 | 8-15 | ● |
【選手権予選】 | |||
---|---|---|---|
二回戦 | 対 草津 | 11-1 | ○ |
三回戦 | 対 守山 | 11-5 | ○ |
準々決勝 | 対 高島 | 2-0 | ○ |
準決勝 | 対 膳所 | 3-2 | ○ |
決勝 | 対 甲西 | 0-2 | ● |
部長 |
|
---|---|
監督 |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|